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2009年1月 7日 (水)

爪(こーじ)

 1月7日は、七草粥の日、爪切りの日です。
 今日は1月7日「春の七草」の七草粥の日だったりします。今日、七草粥を食べると、万病を除くおまじないになるといわれているんですね。七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろの7種類です。「春の七草」が有名なんですけれども、「秋の七草」もありますね。
 爪切りの日は、今日が新年になって初めて爪を切る日だからです。七草を浸した水に爪をつけ、柔かくして切ると、その年は風邪をひかないと言われています。
 古代英語詩《ベーオウルフ》には、怪物グレンデルの腕をベーオウルフが切り落として高い屋根に掲げておくくだりで、その爪は鋼鉄のようだったと述べています。腕を切られて死んだグレンデルの復讐(ふくしゆう)のために母親が城館を襲う筋書は、《太平記》や能《羅生門》の渡辺綱(わたなべのつな)による鬼退治の話に通ずるものがありますが、渡辺綱は名刀鬼切を用いて〈毛ノ黒ク生(おい)タル手ノ、指三(みつ)有テ爪ノ鉤(かがまり)タルヲ、二ノ腕ヨリカケズ切テゾ落シケル〉といいます(《太平記》巻三十二)。鬼、怪物、悪魔がかぎ爪をもつと考えるのは、食肉獣の印象と霊長類の体形とを重ね合わせた結果です。大プリニウスは、犬の頭をもち、つめを武器として、吠えながら狩猟をする人種のことを伝えたメガステネスの話を引用しています(《博物誌》第7巻)。
 爪はかつて腱が延長したものと考えられましたが、皮膚の一部で、黒人では皮膚と同様につめもやや多量のメラニン色素を含むので黒みを帯びます。アリストテレスは、エチオピア人などの黒人の歯や骨は白いが、つめは皮膚と同じく黒いことを指摘しました(《動物誌》第3巻)。黒人の爪半月は爪母基のメラニン色素が多いため青黒く、かつては混血を繰り返しても残る印とみなされました。これをT. シュトルムは《海の彼方より》に取り入れています。楊貴妃の手足のつめは生まれつき桃色だったといいますが(《古今事物考》)、爪甲の色はその透明度、爪床との結合度、爪床の血流状態などによって決まり、健康な白人や黄色人種では一般に光沢ある薄桃色を呈しています。占星術的には、金星(ウェヌス)の下に生まれた人は美爪をもち、火星(マルス)の下に生まれた人のつめは強卑で自己防衛に適し、土星(サトゥルヌス)の下に生まれた人のは生命力に欠けて砕けやすく形も醜いが、水星(メルクリウス)の下に生まれた人のつめは薄くて長く、筋やひびができやすいとし、おのおのの星が人に与える資質を反映すると見ます(H. L. コーネル《医学的占星術辞典》)。爪甲に気泡を含んで白斑や白線を生ずることがあります。とくに成人女性に見られ、〈花が咲く〉などといわれて、幸福をもたらすと喜ぶ人々もいます。
 《涅槃経(ねはんぎよう)》に〈爪長破戒之相〉とありますが、かつてインド、中国、インドネシアその他、日本の一部にも長爪の風習があり、数cmはざらで、なかには40cm以上も爪を伸ばしている例もあったといいます。爪を切るのに曜日に注意する伝承がヨーロッパにはあり、〈月曜日に爪を切れば健康が守れて、火曜日に切れば裕福になれる。水曜日に切れば新しい知らせがあり、木曜日に切れば靴を新調できる。金曜日に切れば悲しいことが起こり、土曜日に切れば翌日に真実の愛が得られる。日曜日に切ったら用心を、次の月曜日から土曜日までの間に悪魔があなたをさらう〉とか、〈金曜日に切れば歯が痛くなり、水曜日に切ればねたみをかう〉などといいます。日曜日の爪切りはとくに忌み嫌われて、〈日曜日に爪を切るくらいなら、生まれてこないほうがよかったぐらい〉とまでいう歌もあり、〈娘が日曜日に爪を切ると結婚できない〉という伝えもあり、これらは神々の祭りのときは爪切りを禁止した古代ギリシアの習慣の名残りだとされています。日本の一部にはかつて乳児の爪を母親が歯でかみ切る習俗があったのですが、ヨーロッパにも手癖が悪くならぬようにと母親の歯で爪を切るならわしの地方がありました。
 爪を立てて相手をかくのは、憎悪や怒りの場合だけとは限りません。インドには爪のかき傷によって性愛の深さを表現する習慣が古くからあり、その種の記述は《ラティラハスヤ》《アナンガランガ》にもありますが、とくに《カーマスートラ》に詳しいそうです。愛のかき傷をつくるため左手の爪を長くとがらせておけと勧め、かき方、かく部位、かき傷の形の分類まで述べている。
 指の主要な支柱としての指骨は細くて指頭の幅を支えきれず、扁平な爪が添木のように後ろだてとなって、人の指頭の微細な動作を可能にしました。爪を抜けば指先に力をこめた作業を満足に行えず、足指ではつま先立ちや疾走が困難になります。また、指をしゃぶりつめをかむ動作(爪かみ)は、無意識のうちに行われるとき、充足されない欲求があることを示唆し、人だけでなく、生後まもなく母親から引き離して育てた子猿にもよく見られます。意識的に行われるのは、甘えやてれや恥じらいのしぐさです。〈あまえて爪くふべき事にもあらぬを、と思ひて、をさをさ心にも入らず〉(《源氏物語》竹河)。
 箏(そう)は3指の指腹に象牙のつめをはめて弾きますが、弦楽器はこれに準じたものが少なくありません。三味線や琵琶を弾くばちも、爪の代用と考えられます。《徒然草》に〈“古きひさくの柄ありや”などいふを見れば、爪をおほしたり。琵琶など弾くにこそ〉とあり、かつては琵琶を弾くのに爪も用いたことがうかがえます。

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