飛行機(こーじ)
12月19日は、日本初飛行の日です。
ライト兄弟に遅れること7年と2日で、日本最初の飛行実験が行われた日、「日本初飛行の日」です。飛行時間は4分で、距離は3000メートルということでした。
第1次大戦が始まるまでは、飛行機の性能も幼稚だったので、大戦が終わってみると世界中の空がほとんど未開拓のまま残されていました。一方、4年間の大戦の試練で飛行機の航続性能も信頼性も大幅に向上していたので、各国の飛行家たちによって、空路開拓への挑戦が盛んに行われました。これらの開拓飛行では、飛行機のもつ性能に対してかなり無理な冒険的な企画が多かったので、成功すれば無名の飛行家が一躍空の英雄とたたえられる反面、目的を果たさず挫折するものも多かったそうです。アメリカとヨーロッパの間に横たわる北大西洋横断飛行の場合は、1919年から30年までの12年間に、挑戦61回に対し成功はわずかに17回、あとは離陸に失敗するか、故障で引き返したり、不時着するか、行方不明になるかでした。
新空路に対する挑戦は、第1次大戦と第2次大戦の間続き、地球上のほとんどすべての部分が開拓されました。このような長距離飛行を行うには、飛行機の航続性能の向上が要求されるわけですが、一方、第1次大戦直後からヨーロッパ、アメリカを中心に本格的に開始された定期航空輸送もしだいに発展してきて、輸送機の高性能化に対する要求が強くなっていきました。とくに国土の広いアメリカではこの要求は切実で、1920年代の終りころからノースロップ、ロッキードなどアメリカのメーカーによって、近代化革命ののろしが上げられたのです。これは、当時いまだに幅をきかしていた空気抵抗の大きい複葉や支柱付き高翼単葉から、低翼片持翼単葉へ、固定脚から引込脚へ、木製や金属の骨組みに羽布を張った旧式な構造から薄いアルミニウム合金の応力外皮構造へと思い切った改革をし、さらに主翼フラップ、過給機付きエンジン、可変ピッチプロペラなどの近代装備を加え、画期的な高性能化をはかろうとするものでした。1930年代半ばに就航したダグラス DC3、ロッキード・エレクトラ、ボーイング247などの輸送機はその代表的な例で、長い間200km/h前後と低迷を続けていた輸送機の巡航速度もこの近代化で一躍300km/hを突破するに至ったのです。
1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次大戦が始まりました。前の第1次大戦でも多数の飛行機がいろいろの目的に活躍しましたが、当時は兵器としての威力がまだまだ不足で、陸軍、海軍の行動に対して補助的な役割を果たしたにすぎませんでした。ところが第2次大戦では、飛行機の性能が飛躍的に向上していたので、空軍の優劣、勝敗が戦局の帰趨を決定するまでになりました。このため参戦国は、少しでも早く敵にまさる優秀機を開発、生産して戦場に送ることに全力をあげたので、各機種の性能は飛躍的に向上しました。各機種の中でもっとも高速を要求される戦闘機の最大速度は平均して600km/h台に達し、大戦末期には700km/hを超すものも現れました。
プロペラ機がこのような高速で飛行すると、高速で回転しつつ高速で前進するプロペラの羽根の先端部は音速に近づき、プロペラ効率の急激な低下を招きます。この見地から、プロペラ機には最大速度の限界があるはずで、大戦末期の戦闘機はその限界に近づいてきたのです。
この障害を突破して、より高速を求めるならば、ジェット機によるよりほかはありません。その動力となるジェットエンジンについては、すでにイギリスのW. ホイットルの1930年の特許がありますが、ドイツやイギリスのいくつかの会社が自社の企画としてジェットエンジンの開発に着手したのは30年代の後半でした。その結果、39年8月24日にはドイツのハインケル He178がジェット機として世界で初めての飛行に成功し、40年イタリアのカプロニ・カンピーニ N1、41年イギリスのグロスター E28/39と続きました。
しかし、ちょうど大戦中で各国とも実用機の改良、生産に追われていたので、ジェット機の実用化はおくれ、大戦末期の44年ころになって、ドイツのメッサーシュミット Me262、イギリスのグロスター・ミーティアなどが戦線に現れました。これらは最大速度850~900km/hと断然プロペラ機をしのいだのですが、初期のターボジェットエンジンは燃費がきわめて悪かったため航続時間が短く、空軍で主力の座を占めるまでには至りませんでした。
それにしても、プロペラ機の性能が限界に近づいたとき、タイミングよくジェット機が出現し、このため飛行機の性能が、停迷期を迎えることなくどんどん発展していったことは、まことに興味深いことです。しかもジェットエンジンの研究は各国政府の先見性によって国策として始められたのではなく、個人の研究者の発想や民間企業の企画によってスタートし、ある程度成果があがったところで、政府が本腰を入れて援助を始めたのです。
1945年8月、第2次大戦が終了するとともに、ジェット機の実用化が急速に進展しました。初めのうちはジェットエンジンの燃費が著しく悪く、航続時間が短くなるので、速度や上昇力に重点をおく戦闘機がまずジェット化され、エンジンの燃費改良につれて、爆撃機、攻撃機などの機種にもジェット化が及び始めました。さらに燃費が改善され、経済的な運航が見込まれるようになって、ジェット輸送機も登場しました。その第1号はイギリスのデハビランド・コメット1型機で52年5月に定期航空に就航しましたが、与圧胴体の外板の疲労破壊で空中爆発事故が2回続けて起こり、就航停止になってしまいました。このため、58年10月、アメリカのボーイング707、イギリスのコメット4型の大西洋横断空路就航が本格的なジェット輸送時代の幕あけとなりました。
続いて60年ころまた一つの革新が起こります。ターボジェットにおけるターボファン方式の導入です。60年ころまず出現したターボファンはバイパス比0.5~1.0程度でしたが、70年ころからバイパス比5.0以上のいわゆる高バイパス比ターボファンが実用化されました。これは、高バイパス比の採用により推進効率が向上したうえに、エンジン本体の熱効率や要素の効率も改良されたので、ストレートジェットはもちろん、初期の低バイパス比ターボファンに比べても、著しい燃費や騒音の低減が達成されました。一方、これらの高バイパス比ターボファンは出力のうえでも目覚ましい向上を示し、離昇推力20~25tという強力なエンジンが生産されるようになりました。これに伴って、従来の輸送機より幅の広い胴体(いわゆるワイドボディ)をもったボーイング747、マクダネル・ダグラス DC10、エアバス A300などの大型輸送機が70年ころから次々と就航しました。ジェット機の出現は、飛行機のスピードアップだけでなく、大型化をも可能にしたのです。
ジェット機の出現により、すべての機種にわたって飛行機のスピードが飛躍的に増加したのはいうまでもありません。とくに軍用機の高速化は目覚ましく、各国の第一線戦闘機はマッハ2.0~2.5の高速に到達しました。世界でいちばん速いのはロッキード SR71A 偵察機で3529.56km/h(約マッハ3.3)の記録をもっています。
しかし民間輸送機は経済性の見地から一般に音速の少し手前の800~950km/h(マッハ0.8内外)を巡航速度としています。これは初期のボーイング707以来、今日まで変わりません。将来ともこの速度範囲は民間輸送機にもっとも適した速度として、永久に使われるでしょう。
民間輸送機の分野でも超音速輸送機(SST)としてフランスとイギリスで共同開発したコンコルドが1976年以降就航しています。ふつうの亜音速輸送機に比べて2倍以上のマッハ2.0の巡航速度をもりますが、客席が約100内外と少なく、航続距離も6000kmともの足りないため、開発国以外からの注文がなく、わずか16機で生産を打ち切ってしまいました。しかし現代の技術をもってすれば、さらに高速で、搭載量も航続距離もコンコルドよりはるかに優れた第2世代 SST の開発は可能です。近い将来に実現する可能性があります。
ジェット機の出現により、1950年代から60年代にかけて、目覚ましい進歩を示していますが、70年に入ると進歩の度合が鈍化し、現在では性能的にはほぼ実用上の限界に達しているように思われます。したがって飛行機の今後の進歩は、安全性、信頼性、快適性、経済性などの向上に重点がおかれるように思われます。





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